Saying Good good-byes 過去に上手に別れを告げる

「目指せチェンジマスター」の連載記事の中でよく読まれているトピックは、変化の中で否定的な考えに陥り易い状況において、自分自身の内面に目を向け、肯定的な気持ちを創り出す内容です。

今やまさにC O V I D−19の影響で世界中が変化の渦の中におり、あらゆる情報源の中で確かなことを見出すのはとても困難を極めます。周りの状況が急激に変化することを誰もが目にし、経験をしています。こうした状況では人や組織の規範が崩れやすくなり、肯定的にはなかなかなれないものです。それは神経科学の観点からすると、ごく自然な反応とも言えます。

その際、自分の弱さや負の感情を認め、受け入れることから始めてみることは意義があります。私自身もその重要性を実感しています。まわりで起きていることだけに目を向けていて、内面の状態に気づかず、カラ元気で前に進もうとしてもエネルギーが枯渇しているため真の強さを発揮できなかった経験があるからです。

自分が抱いている恐れや不安を直視し、自分の内面を見つめます。自分がコントロールできることであれば、行動を起こします。コントロールできないとすれば、影響を与えられるかを考え、それもできなければ、「手放し」ます。過去に縛られ、執着していると前に進むことができません。チェンジマネジメントの権威であるスコット博士は「Saying Good good-byes」、過去に上手に別れを告げることが前に進む秘訣であると述べています。

よく知られた映画「マトリックス」で主人公のネオはレッドかブルーのいずれかの薬を飲むという選択を迫られます。レッドを飲んだ場合、彼はミッションを負って不都合な真実と向き合い、元の自分には戻れないことを知ります。通常私たちはそこまで劇的ではないにしろ、変化に直面し、選択を迫られ、躊躇することがあります。過去にはもう戻らないとしたら、どうやって良き別れを告げるかを考え、コントロールできることの中から一つ一つの行動を試してみることです。うまくいくかどうかはやってみなければ分かりません。ネオは一人ではなかったように、現実の社会でも私たちはつながりを大切にして、行動を起こす時に前に進むことができるのです。

きっと読者の中にはご自身の内面に目を向けることに関心のある方が多くおられ、変化を乗り越えていく内面の強さを発見されていることと思います。まずは自分を見つめ、その上で人とつながり、変化を乗り越えていきましょう。

目指せチェンジマスター

芭蕉の言葉

山下一海氏の芭蕉百名言には「変(化)を確かに見とめ聞き止めるという第一の困難をのりこえることが、自然の本質の把握という第二の困難を達成することに連なって行く」という一文がある。
芭蕉の言葉が心に刺さる。現状が心地よい場合には、なかなか変化を受け入れること自体が難しい。しかしこの変化を自らの意思で認めるという難しさを克服しなければ、常に何かに追われて、誰かに強いられて選択をする、あるいは誰かが自分に代わって選択してしまうということが起きる。  
自分の目で、耳で何が起きているかを確かめ、自分の意思で判断し決断して行くことで、もちろん失敗もあるが、そこから学ぶことが大きい。その積み重ねでだんだんとその変化の本質を捉える精度が上がって行くのではないだろうか。
Cynthia Scott博士が提唱する変化を克服した人がとる態度と芭蕉が述べる変化の本質を捉える姿勢にはまさに共通点がある。

世界基準の規範

知り合いの企業幹部とともにスポーツボランティア説明会に参加。「ここに集まる皆さんには共通の行動規範について順守をお願いします」キビキビと笑顔で進行していく。話は単なる説明ではなく、健常者も障害者も皆一丸となって、それぞれにできることをやっていくという精神にみなぎっている。ともに感銘を受けながら、帰りは都心から新宿まで5キロ弱の道のりを歩くことにした。

歩きながら、今日の説明会にはとても活力があり、良い刺激を受けたこと、そこからラグビーの名場面、スポーツ解説者が語る熱弁の数々、世界の強豪とあたる日本選手の活躍ぶりについて語り合った。一つの国を超えて世界に感動を与えていることの凄さ。それは何も単に勝つことから生まれているのではない。プレーにおける技量の高さはもちろんのこと、ギリギリのところで自分をコントロールし、プレーの中で規範を示す選手の強さにあると語る彼の話しに納得しながら、話が盛り上がった。ラグビーは他の競技と違い、違反の前にレフリーが警告をだす。それを特定の個人であったり、キャプテンに伝えることがある。違反者を取り締まるのが目的ではなく、規範を守ることに趣が置かれているからだろう。

選手がフィールドで精一杯に戦っている姿を想像しながら、我々ボランティアも規範を持って世界中から訪れる子どもからお年寄りまで、心をこめてお迎えしたいと思う。心に残った言葉、世界標準に則り、世界一のボランティアを目指していきましょう!やりがいがあるではないか。

文化的背景の影響力

文化が持つ力の影響力を実感することがある。以下はその実例である。

よく使われる言葉に「お客様は神様です」というのがある。これを述べたのは他でもない、三波春夫さんである。三波春夫のオフィシャルサイトによると芸をする心がけとしてお客様の前に立つ時にはあたかも神様の前に立って芸をするということを心しておられたとのことである。

たくさんの方がネット上でこの言葉の誤用について書き込んでいる。この言葉の意味を「お金を払えば何を言っても、やっても良い」という口実に使っているという。
 
果たしてこの態度や姿勢はこの言葉から誤解されて始まったことなのだろうか。以前アンダーセンコンサルティング時代に地方自治体の管理職研修で「外注管理」の講義を受け持ったことがある。その際にはグローバルにおける事例を紹介したが、いずれも対等な契約関係が元になっている成り立つ事例を紹介した。
 
日本語の響きがあまり美しくないが、外注(Outsourcing)と言う言葉から日本ではどうも上下関係を想起してしまうのだろうか。日本語は話し方を聞いていれば上下関係が分かる言語である。これは英語にはない特徴だ。文化的背景としてサプライヤーには無茶な要求をしても受け入れるのが当然と言う暗黙の了解が見え隠れする。三波春夫さんのように純粋に言葉を発する人がいても、文化的要因はその本来の意味を変えてしまうほどの力を持っている。
 
それぞれの組織にも同じように文化がある。良きものは残しながら、時代の流れやグローバル化に適応するために自らを変革し、新しい組織文化を醸成していくには適切な段階を経て、時間がかかったとしても一歩ずつ進まなければならない。

ミッションでつながる

冬の林道を歩きながら空を見上げた。うっそうと茂る木々には枯葉が何枚か残っているものもあった。その中で枝にかろうじてぶら下がっている一枚の葉っぱを見つけた。風に吹かれて今にも落ちそうであった。帰り道にも見上げたが、まだ枝に残っていたのを見て、とても勇気付けられた。

そこでふとO’Henryの「最後の一葉」に出てくる勇気を得た病気の主人公の話を思い出した。そもそも葉が落ちるかどうかは問題ではないのかもしれないとも思い始めた。本人にとって葉が残っていると思えればそれで良い。しかしそれは自分の力だけではできない時がある。誰かの助けを借りてそう思えるようになる場合もあれば、自分の知らないところで誰かが精神的、物理的を問わずに、支えていてくれたおかげで、思えるようになる場合もあるのではないか。その繋がりに気づくとき、心のうちから感謝の念が湧き上がる。

人間はより大きな目的に根ざしてお互いがつながっていくときに、想像を超えたみなぎる力を発揮できるようになるのかもしれない。

Integrity/インテグリティとは主体性発揮の源泉である

この言葉がどうして「誠実さ」や「真摯さ」と訳されることになったのか、とても関心があって調べたことがある。もちろんドラッカーのマネジメント論にでてくる有名な一節でもある。それは次の2つの経験がヒントになった。一つは1993年に日本で立ち上げた米国のフランクリン・クェストの事業展開を通してクライアントであったほとんどの欧米企業の行動規範の中に Integrity と書かれてあったこと。もう一つはアンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)に在籍していた90年台後半、私の専門はヒューマンパフォーマンスであったが、ITの世界ではSystem Integration (システム統合)という言葉が使われていたことである。2つの別々のシステム(無機物)を一つに繋ぐことをIntegration (統合)と呼ぶのは極めて合点がいったが、語源が同じであるIntegrityを一人の人間に対して使うからには人間の中の何かと何かの整合性という意味か?と漠然と考えていた。

そんなある日、普段から付き合いのある外国人のエグゼクティブから相談を受けた。日本人はなぜビジネスの場で「はい」と言っておきながら約束した行動をしないのかと。それはある特定の人ではなく、日本人に対する印象のように思われた。それは誠実さに対して疑問が投げかけられたと言っても良い。彼が知る武士道から浮かび上がる信頼できる日本人像とは全く相入れないことへの当惑であった。この相談に対する回答はここでは割愛するが、この事例では「約束したこと」と「実際の行動」に齟齬があり、誠実さが欠如していると思われた、と言うことである。私も日本人の一人であり、他人事ではない。「言っていること」と「やっていること」が違うと捉えられた場合、誠実な人とは思われない。Integrityが高い人=誠実な人とは、道理に則っているという前提で「言っていること」と「やっていることが」あっている、と捉えることで自分でも日本語訳に合点がいった。

とは言え、生涯において100%言動が一致しているというような人物にはなかなかお目にかかれないのではないか。聖人君子でもない普通の人間にも「誠実」という言葉を使うことを考えると、時には失敗も織り込み済みであると考えられる。しかしドラッカーはIntegrity (訳では真摯さを使っている) のない人物をマネジメントの職につけてはならないと警告するからには、人が成長する過程で誠実さに関する幾つかの葛藤(自分が言ったこととが実行できないような場面)を乗り越え、失敗から学び、克己心を養っているかを基準にして、人物を見抜けということであろう。

上記を踏まえ、ワンアソシエイツを創業した2000年初期にプロとして活躍するすべての社会人を対象としたプログラム*「プロフェッショナルの思考と行動」を創り上げた。2001年から2004年までアクセンチュアに入社したコンサルタントの皆さんをはじめ、主にグローバル企業の皆さんを対象に実施している。

*「プロフェッショナルの言動の一致」ではなく、「プロフェッショナルの思考と行動」としたのはIntegrity (誠実さ) を単にその場、その場の言動の一致と捉えるのではなく、矛盾を含めたあらゆるコンテクスト(文脈)においてプロはどのように思考し、どのように行動するかによって自身の誠実さを示すことにもなれば、ならないことにもなる、またその結果責任を負うものとなることを明示するためである。どんなに優れた戦略的思考ができたところで、誠実さに欠けていては持続的な信頼関係は構築できない。

誠実さとは相手の目に映るものであり、相手が判断するものである。自分が周りに対して誠実であると自負してもあまり意味はないが、自身の弱さを受け止めた上で、何事にも誠実であろうとする姿勢には意味はあると思う。よってIntegrity/インテグリティとは自らの主体性発揮の源泉と捉えている。