芭蕉の言葉

山下一海氏の芭蕉百名言には「変(化)を確かに見とめ聞き止めるという第一の困難をのりこえることが、自然の本質の把握という第二の困難を達成することに連なって行く」という一文がある。
芭蕉の言葉が心に刺さる。現状が心地よい場合には、なかなか変化を受け入れること自体が難しい。しかしこの変化を自らの意思で認めるという難しさを克服しなければ、常に何かに追われて、誰かに強いられて選択をする、あるいは誰かが自分に代わって選択してしまうということが起きる。  
自分の目で、耳で何が起きているかを確かめ、自分の意思で判断し決断して行くことで、もちろん失敗もあるが、そこから学ぶことが大きい。その積み重ねでだんだんとその変化の本質を捉える精度が上がって行くのではないだろうか。
Cynthia Scott博士が提唱する変化を克服した人がとる態度と芭蕉が述べる変化の本質を捉える姿勢にはまさに共通点がある。

変化に向き合う

人間は誕生し、自立し、家族や企業、社会に貢献し、ついには死を迎える存在であることを思うと、幸せは本来その人が持つ潜在的な能力をいかに育て、開花させ、充実した日々から老いへの移行をいかに過ごすか、まだ見ていない、見えない未来に向かって、しなやかに変化し適応していくことができるかどうかにかかっているのだろうか。変化に向き合うとは生きることそのものである。

誰もが明るい将来を望み、その恩恵にあずかりたいと思う。現実には様々な興亡の中で誰もその時代や環境の変化から逃れることはできない。戦後日本における産業の変遷はそのニーズの反映として鉄鋼、自動車、電化製品、コンピューター、半導体、コンサルティング、エンターテインメントと重さがトンからゼログラムへの変化を遂げている。今や、人間の五感である見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、に訴えかけるものはもとより、体験から生まれる経験価値そのものを多くの人が求め、身体能力を高めるスポーツ、知識を身につける教育産業、美を追求する美容産業の伸びも著しい。産業別就業人口の推移、求められる働き方も変わってきている。

こうした変化の中で人間が生きることにとって欠かすことのできない地球環境、農業、食の安全、健康や生活習慣、治療から予防医療、そしてやがて迎える死に対して尊厳をもって向き合うホスピスにも注目が集まっている。

病気や怪我、身近な人や動物の死にも直面し、親や兄弟、家族、仲間のあり方に触れ、職業人としてはたかが30年程度の経験ではあるが、企業変革や企業の存亡を目の当たりにし、経営陣のあり方に触れ、従業員の心理面や行動様式の変化を見てきた。

激しい時代の変化を乗り越えている「人」の際立つ特質を3つあげよう。

  • 変化からくる不安や恐れの感情を自然なこととして受け入れている
  • 人との関わりを大切にし、情報を得て、変化に向き合う勇気を作り出している
  • 自らの意思でリスクをとって新たな環境で挑戦している

変化に対する理解を深め、必要なスキルを身に付けていくことで、変化対応の力を向上させることができる。

本屋が消える-サンフランシスコ

西海岸のイメージはシリコンバレー、一流大学、最先端医療、新しい働き方、ベンチャー、など様々なことが浮かぶ。その中でも「本屋さんが市場から消えていく」ことがあげられる。どのように受け止められているのかを現地のビジネスパートナーに尋ねてみたが、本を手にとって読む喜びは今でも変わらずあり、ネットでの購入というスタイルに適応しているとのことだった。ここサンフランシスコでは新しい働き方が大きな生活様式の変化をもたらしていた。

これは買い手側の行動様式のみならず、売り手側の意識や行動様式にも大きな変化をもたらしている。かつての本屋の店員はどこに行ってしまったのか。お客さま対応をしていた彼らはどこで働いているのか。彼らの多くはロジを扱う倉庫にいるのかもしれない。なんだ、それじゃやる気をなくすのでは、と思う節もある。

では発想を変えて、倉庫がフロントエンドであると位置づけると、倉庫こそがカスタマーフェィシングの最前線であり、カスタマーについての知識、経験が活きる場所となるのではないか。しかし、環境が変わる中で、意識や行動様式を洗練させながら、新しいやり方を身につけていくことは容易ではない。

こうした変化を頭では受け入れられるが、心や行動では難しいと感じる人々がたくさんいる。単なるロジックでは理解できても、変化についていくことはできない。人が自らの変化適応のプロセスを経験することが必要となる。その変化対応にもスキルがあり、それを身につけていくことが鍵となる。

私たちは心理学者であるCynthia D. Scott博士との提携により、変化や変革を乗り越えていく際に、ないがしろにされがちだが、極めて重要である人間の心理曲線(Transition Curve)™️をベースに、必要な考え方やスキルを身につけていくワークを提供していく。

やってみなけりゃ分からない

2016年にスタートした一年間の実践型リーダーシッププログラムが終了した。

自分の強い意志を持つが聞く耳を持たない者、論理的に話しを展開するが、人の心をつかめない者、なかなか議論に入り込めない者、自分の経験を人に教えようとする者など、当初の話し合いは全く噛み合わなかった。

このメンバーがオフサイトのキャンプ、現場でのプロジェクトの実践、自己洞察、グループコーチングを経て、成長の軌跡と現場での改善活動に関する最終成果を発表した。

その場には昨年このプログラムを終了したリーダーたちが出席し、率直かつ思いやりのあるフィードバックをだした。

今年のメンバーのみで最後のブリーフィングをしたが、お互いから多くを学んだというコメントが多く、心理的な距離がぐんと近くなっている。

一年前の空をつかむような議論が懐かしい。人が協働関係を作るためには、自分を超えたより大きな目標の意味を感じ、それを共有し、腹を割って話し合っていくこと、ともにチャレンジしていく行動と経験が有効だ。

やる気をださせる:誰でもこい農家

中国の農村部から出稼ぎの人が結構来ているようだ。受け入れ側の農家には人を選ばない。誰でもいいから連れてきてくれという方もいるらしい。ここでは「誰でもこい農家」と命名したい。その主人は労働者たちのモチベーションを上げるだけでなく、他よりも余計に賃金を払うという。とにかく怒らない、やらせてみる、それで彼らはめちゃめちゃ働くという。収穫後は温泉に連れていく、週末も経費を切り詰めながら楽しい思いをさせるそうだ。

実は「誰でもこい農家」のことは中国に帰った労働者たちの仲間内で評判になっているらしい。そこで、ある時「誰でもこい農家」のところへカツラをかぶった中国人が採用面接に来たそうだ。理由を聞いたところ、「少しでも容姿をよく見せれば採用してもらえるのではないかと思った」とのことだった。それを聞いた主人は「面白い!」と言って、もちろん採用した。そんな話を友人から聞いた。

実に面白い。「誰でもこい農家」は人のやる気をださせる。

世界基準の規範

知り合いの企業幹部とともにスポーツボランティア説明会に参加。「ここに集まる皆さんには共通の行動規範について順守をお願いします」キビキビと笑顔で進行していく。話は単なる説明ではなく、健常者も障害者も皆一丸となって、それぞれにできることをやっていくという精神にみなぎっている。ともに感銘を受けながら、帰りは都心から新宿まで5キロ弱の道のりを歩くことにした。

歩きながら、今日の説明会にはとても活力があり、良い刺激を受けたこと、そこからラグビーの名場面、スポーツ解説者が語る熱弁の数々、世界の強豪とあたる日本選手の活躍ぶりについて語り合った。一つの国を超えて世界に感動を与えていることの凄さ。それは何も単に勝つことから生まれているのではない。プレーにおける技量の高さはもちろんのこと、ギリギリのところで自分をコントロールし、プレーの中で規範を示す選手の強さにあると語る彼の話しに納得しながら、話が盛り上がった。ラグビーは他の競技と違い、違反の前にレフリーが警告をだす。それを特定の個人であったり、キャプテンに伝えることがある。違反者を取り締まるのが目的ではなく、規範を守ることに趣が置かれているからだろう。

選手がフィールドで精一杯に戦っている姿を想像しながら、我々ボランティアも規範を持って世界中から訪れる子どもからお年寄りまで、心をこめてお迎えしたいと思う。心に残った言葉、世界標準に則り、世界一のボランティアを目指していきましょう!やりがいがあるではないか。

人的資本への投資

会社の固定資産である車や機械は毎年資産価値が目減りする。計上された無形固定資産の扱いについては日本と国際会計基準では違いがあり、ここでは割愛する。

現実の世界で研究開発などによる技術やノウハウはたとえ特許などで守られていたとしても、競合の台頭などにより時代遅れになることがある。では、人のコンピタンスはどうだろうか。グローバル社会において人が同じ知識、同じ能力で何年通用するだろうか。

以前インタビューした、旭山動物園を日本一にした元園長の小菅さんは語った。私が退職してもここで働く人が「常に新しいこと、新しいチャレンジに向き合っていく」ことで旭山動物園は発展していく。

人の価値は資質や能力を磨くことで上げていくことができる。

文化的背景の影響力

文化が持つ力の影響力を実感することがある。以下はその実例である。

よく使われる言葉に「お客様は神様です」というのがある。これを述べたのは他でもない、三波春夫さんである。三波春夫のオフィシャルサイトによると芸をする心がけとしてお客様の前に立つ時にはあたかも神様の前に立って芸をするということを心しておられたとのことである。

たくさんの方がネット上でこの言葉の誤用について書き込んでいる。この言葉の意味を「お金を払えば何を言っても、やっても良い」という口実に使っているという。
 
果たしてこの態度や姿勢はこの言葉から誤解されて始まったことなのだろうか。以前アンダーセンコンサルティング時代に地方自治体の管理職研修で「外注管理」の講義を受け持ったことがある。その際にはグローバルにおける事例を紹介したが、いずれも対等な契約関係が元になっている成り立つ事例を紹介した。
 
日本語の響きがあまり美しくないが、外注(Outsourcing)と言う言葉から日本ではどうも上下関係を想起してしまうのだろうか。日本語は話し方を聞いていれば上下関係が分かる言語である。これは英語にはない特徴だ。文化的背景としてサプライヤーには無茶な要求をしても受け入れるのが当然と言う暗黙の了解が見え隠れする。三波春夫さんのように純粋に言葉を発する人がいても、文化的要因はその本来の意味を変えてしまうほどの力を持っている。
 
それぞれの組織にも同じように文化がある。良きものは残しながら、時代の流れやグローバル化に適応するために自らを変革し、新しい組織文化を醸成していくには適切な段階を経て、時間がかかったとしても一歩ずつ進まなければならない。

心に刻まれた言葉

6年ほど前に、ある農業シンポジウムで知り合ったインドネシア青年商工会議所の議長の招きで彼が経営するUBUD Sari Health Resortへ行ったことがある。空港から迎えの車で走ること2時間ほど。街から離れてどんどん人里離れた山へ向かっていく。着くとそこは皆が想像するような海辺のリゾートホテルとは全く違い、うっそうと草が茂るビレッジの中にある簡素な宿泊施設だった。宿泊客はドイツ、カナダ、オーストラリアからきた年配者たちだった。彼らはリトリートにくる常連たちで、朝はベジタリアンディッシュを取りながら会話が弾んだ。

施設の真ん中には石碑があり、そこにはUBUD Sari創設者の言葉が刻まれていた。それは「私の夢は」で始まり、「与えることで貧しくなるものはいない」で結ばれていた。読んだ時に何かが心に残った。それ以来、時折この言葉を思い出す。

ランニングとダイアログ

昨年ジョギングやランニングをしている人たちの仲間入りをしてハーフマラソンを完走した。定期的に走るようになると体が走ることを覚え、仕事を仕上げて走ろうという意識が芽生えた。一昨年の12月に15年間我が家で育った犬が世を去ってからは一緒に散歩にいくこともなくなっていたので、良い機会となっている。
一人でも走るが、仲間と走るときはより楽しい。特段タイムを競うわけでもなく、記録を伸ばすためでもない。走りながらただその日に起こった、たわいないことや常々思っていることなどを分かち合う。相手の話を聞いて、なるほどと思うこともあれば、自分の考えていることを話しながら、相手との掛け合いの中で未完成だと思うこともある。身体を鍛えながら、思考や意識を研ぎ澄ませることができる、なんと贅沢な時間であろうか。